光踊る

病院に居ても、静養していても、どこに居ようとも、世の中に与える影響は極めて希薄になり、暇を余している小光子は、5月の光踊る頃、釣り、テニスに復帰した。
テニスは手首のこともあり、確実にオジンテニスになった。それでも楽しい。
釣りは、磯、波止、船釣りの割合が少し変わった。しかし、やはり、楽しい。
そして、5月の光は心躍る・・・。


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躍る光
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予測できない日常

運気の変わり目なのか、○○歳を目前にして、今まで経験しなかったことがよく起こる。
死神の気配を感じたこともあったが、「まだ生きよ!」と言うことなのか、きっとこれで復活できたのであろう。
どのような人でも人間である以上、一秒先の事でも予測なんてできないということだけは痛切に分かった。
まあ、遅すぎるといえばそうかもしれない。
内臓の奇病が発覚し、約20日間の入院生活を余儀なくされたが、小光子にとっては面白いことや得をしたこともあった。
面白いことはオフィシャルなこのブログには書けないが、得をしたことは、今まで成しえなかった大幅ダイエットである。
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お酒を飲まず、このような食事で20日間過ごせば、寝てばかりいても、83kgの体重は75kgなったのだ。
退院して2ケ月余り、まだ服薬中だが、酒だけはダメだが何を食してもよい。そして体重は78kgまで増加した。
なんとか、このまま維持したいものである。

能力を持ち合わせた人達

太平洋に面しながら、駆けあがってくる強い南風から家を守るために、周りは樹木に覆われたままにしているので、家の一階から、海は見えない。
しかし、庭の隅に、遠くに磯が見える部分が1ケ所だけ作ってある。
いつもそこから海を眺める習慣のある小光子は、異変に気が付いた。

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画像の矢印の先に、2人が釣りをしているのが見える。
小光子は、まだまだ強い体を持っていた十数年前、その磯の近くまで、釣り場探しに歩いたことがある。

異変とは、2人が居る場所は、陸続きではないのである。勿論、小舟を使っても磯に降りることは困難であろう。
後は、泳いで磯を渡るか・・・。しかし、この寒の時期、それも考えにくい。
疑問に思いながら、京都に帰る道すがら、近くの展望台に上がって、眺めてみた。

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謎は解けた。独立した磯の手前に長いアルミ梯子が置いてあるのが見える・・・・・。

しかし、ツワモノが居るもんだ。何も持たないで、その場所まで行くのにも、強い気力と体力を要するにも関わらず、重い釣り具と長い梯子を運び、それを離れた磯に渡し、曲芸まがいのことをやってから、釣りをしているのである。なんとも、この執念には頭が下がる。

日本は資本主義の国でもある。
生活するには、まずはお金を稼がなければならない。
この釣り人の仕事を知る由もないが、この気力と体力をもって仕事をすれば、いい仕事ができると思う小光子だ。ただ人間というのは不思議な生き物で、持ち合わせた能力を、どの方向にも発揮できるとは限らない。
だから、オモシロイのだ・・・・。

反対に小光子の場合、釣りの素養という能力が乏しいにも関わらず、釣りが好きで、そこに長い時間と金銭を注ぎ込んでいることは確かである。矛盾があるのは解かっているのだが、たぶん体が動かなくなるまでやめることはないであろう。
この2月の釣りも、ボウズが続き散々であったが、同じ穴の中のムジナと共に、楽しい釣りができたのである。

矛盾・不思議といえば、世界を代表する極悪人2人が仲良さげに握手をして、2人でメシを食っていることが報道された。何人もの人を拉致して監禁したり、実兄を殺したりしたら、普通はそれだけで極悪人、監獄行だ。
そのような男と、「信じている」とかなんとか言って握手をしている男は、やはり同類としか言いようがない。国民の為でもなく、国の為でもなく、己が手柄の為に、詭弁ばかり使って、堂々として自分を押し付ける男が、鼻持ちならない2月の終わりである。
なぜ、あの人たちに、大勢の人たちが旗を振るのか不思議で、矛盾があるのだ。
なし崩し的に核保有を許してはならない。
お祭りで騒ぎではなく、静かに冷静に、話し合いを続けて欲しいものだ。

2/17
潮時と天候の加減で、あまり行けなかったホームの地磯での釣りは、ヘダイのオンパレード。

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2/21
この日も強風とウネリで、どちらかといえば好みではない磯にしか上がれなかったが、23~37cmのグレがたくさん釣れた。

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2/22
翌日、風がやんだので、もう一度同じ渡船店に行ったが、客は超満員。
この日も午前中は無名磯になってしまったが、活性高く、小さめのグレがたくさん釣れた。
昼から、私の好きな磯が空いたので、磯変わりさせてくれたのだが、状況は一変。まったく活性がない。
この磯の好きな理由は、右冲へ流れるのぼり潮に乗せて沖で食わす、スケールの大きさがあるからだ。
そういう潮があるときは、大抵の場合、いいグレが釣れるのだが、この日は全くエサが残ったままで反応無なのである。仕方なく、手前のエサ取りが居るところを狙って仕掛けを入れると、強い引き味の魚が連発した。
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犯人はこやつである。50cm弱のニザダイの3連発。腕がだるくなり、一休みして、ハリスを1.75から2号に変更。
食わなくてもいいから、半ヒロ、棚を浅くして再挑戦。またもや強烈な引きだが、あえなくハリス切れ。それから何やかやと苦闘したが、さらにハリスのチモト切れが2回続き、ギブアップした。
引き味とハリスの切れ方から、きっと大きなイスズミの仕業であろう。

私の好きな磯には、この日グレは不在であったが、それなりに釣りを楽しんだ小光子は、2月の釣りを終了することにした。

今年の寒グレの終期は早く訪れるのであろうか・・・・・・・

                                                      2019.2.28  小光子

2019年の釣り初め

「冴えた夜半(よわ) 弾む老骨 釣り具積む」

俳句流行りの昨今、小光子も、愚作を一句読んでみた。
やらねばならぬことは、元気に生きることだけになった小光子は、年中海と戯れて過ごしているのだが、この時期になると、我が責務のように、冴え冴えとした夜明け前から、枯れ木灘に向かうのである。

誰に命令されているわけでもないのだ。
手首や腕や肩が痛くても、膝や腰が痛くても、なけなしの小遣いと体力を、ぎりぎりまで消耗させて、竿を振りに行く・・。
合理性を追求して、長年ビジネス社会で働いてきた小光子に、こんな非合理な「衝動」が存在しているのが、誠に不思議でならない。

手術した右手首は、かなり良くなった。
右腕の筋肉は極端に落ちてしまったが、テニスで遊べるくらいにはなった。勿論、上からの高速サーブは、もう永遠に打てないであろうが.・・・・・・・。
かれこれ術後1年を過ぎたところである。

釣り日記で始めたこのブログも放置のままであるので、昨今の義務感さえ漂う小光子の寒グレ釣りの記録だけでも残しておく。

年が明け2019年1月

行きかえりの2日間を差し引くと、13日間に9回の釣行をしたことになる。

そのうち6時間レベルのホームでの釣りは2回。
もっと通えば釣れるかも知れないが、ホームは釣れる条件が限られていると思うので、釣行回数はのびない。
今年は黒潮が大きく紀伊半島から離れて蛇行し、枯れ木灘の磯付近は全体的に低水温だ。
水深の浅いホームには、かなり厳しい条件である。毎年、40オーバーが何匹か釣れるのであるが・・・・。
1月は2回行って、2回共に30オーバーの寒グレが2匹づつ釣れただけだった。

しかるに、夜明け前からのフルの渡船釣行は7回に及んだ・・。
夢中の時には分からないが、後から振り返ると、自分のアホさが痛いほど判り、ひどく疲れていることも自覚する小光子なのだ。

渡船釣行の結果を記録しておく

有田(ありた)「ヒラジマ」      1回     木っ端グレ
市江 「中島」 「第二四ツ島」    計2回   木っ端、2匹
出雲 「梯子島」、「ウノクソの壁」  計2回   2匹、2匹
潮岬 「どうね」「アシカ」 計2回 13匹(31~37cm)、1匹

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畢竟、小光子の釣りは「下手のよこずき」ということであろう。
誰でも釣れる条件でなければ、釣り切れないのだ。

それでも、
磯を駆ける老骨は、無意味な義務感に苛まれて、今月も南紀に健在であろう・・・。

                                                   2019年2月2日
 

喧騒無き晩秋

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海といっても、晩秋の夕暮れはやはり物悲しい。
空気がとても澄んでいて、この日の夜はダイヤモンドを散りばめたような空であった。

とは言っても、小光子の南紀での日々は体力の許す限り、磯をめざしているのだが、この期間の最大のグレは40cm止まりに終わった。

11月29日(木)
なんとも生臭い日々を送っていた小光子は、一昨日京都にもどり、南紀のホンマモンでメタボが進行した体を絞るために、「小光子の散歩道」を歩いた。

この時期、京都の名所のすばらしさを否定する人は居ないだろう。
しかし、近くに住んでいながら、昨今はそこに足を運ぶことは無い。
老い故なのかも知れないが、艶やかで端正な風景から、雑踏と喧騒だけを削除することなどできないからだ。
たぶんであるが、よほどのことがない限り、あの世にいくまで、この時期のあの素晴らしい「永観堂」や「醍醐寺」を訪れることはないだろう。


一方、「小光子の散歩道」には喧騒は無い。

今日はいつものコースを少し外れて、住宅街の中の公園を経由した。
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ここは竹林の中の小さな公園だ。よく若者がフルートの練習をしているが、小光子は「自戒の公園」と勝手に名付けている。


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散歩道の最後には、息子が小さいころ、フナ釣りをして遊んだ池にも、秋が終わりを告げていた。

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小光子にとって、これで今年の秋は十分だ・・・。

偽装問題

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添え木が異常に大きいイチジクの木。なんだかアンバランスなような気がするのですが、3転4起なのです。
まずは台風21号、そして24号、25号とそのたびに倒れ、添え木を強化したことによるものです。
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葉っぱの大きいイチジクの木は、風がよく当たる場所に植えるべきではないのでしょうね!
しかし、倒れて1週間以上の放置が、3度も続いたのに、起こしてやって治療(水やり)してやれば、生き返ります。すごい生命力のある木ですね。

台風の通り道である日本列島。今年は特にひどかったように思います。
あまりにひどく汚れた日本列島を神が浄化しているのでしょうか?


秋がやってきて、何事もなかったように、今は小花が咲く庭になっています。
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検査データーが改ざんされた多くの免振ダンパーが、沢山の大規模建築物に使われていました。
大地震を想定すると、身の毛がよだちます。
前後しますが、三菱自動車、旭化成、神戸製鋼、東洋ゴム、東芝、三菱マテリアル、三菱アルミ、等々、記憶にあるだけで、この種の不正の枚挙にいとまがありません。
これは、表にでた会社だけではなく、日本だけでもなく、企業風土に潜在している何かに起因するものとしか思えません。

以前小光子はモノづくりしていました。

得意先から要求されてくる精度はとても厳しくて、クリアできる個所や、頑張ってもできない箇所がありました。
しかし、それでも他の国の製品と比べても、明らかに品質が高いものでした。
得意先は販売計画の時期が来ると、クリアできていない箇所は全て、「特採」、つまり特別採用にして、小光子の会社の製品を使ってくれました。
そんなことの繰り返し、つまり「厳しい要求精度」は私たちのさらなる技術の錬磨に役立ちました。
しかし、ずるい得意先の支払い時期延長に利用されたりもしました。

「厳しい要求精度」はお代官様を成立させていました。ここが今の現象の重要なところです。

また、常態化した「特採」は上層部の見えないところで蔓延して、大きな問題となることもありました。
これも「なれ合い」の一種です。

つまり、「目標精度」と「保障精度」の区別がついていないのです。いや、お代官様は、そんな議論をしたくないので、放置されていた感があります。

また、原因の一つに「法令の内容が実態に反している」なんてこともあるかも知れません。

さらにまた、社内や業界内における強い権力(圧力)なんかも原因しているのかもしれません。

しかし、小光子は思います。大メーカーのデーター改ざんなどは、現在のこの自由な社会では、容易に内部告発が発生するということが、何故、お偉いさん達には想像できないのでしょうか・・・。わからないことだらけの世の中です。

これは、もっと大きな台風で、神様から罰を受けなければならないかも知れません。


愚痴はこの辺にして、こんな社会から遠く離れてしまった小光子の最近の釣りを記録しておきます。

8月も釣りには行っているのですが、記録を怠っています。たぶん、めぼしい釣果はないのでしょう。


9月17日
ここはある波止です。特殊な環境といっていいのか眼前に沢山の魚の養殖生簀があり、自動餌やり装置がついてます。時期的なものはありますが、大グレ、真鯛、大アイゴ、等が釣れるのですが、オキアミなんかはフカセ釣りのエサにはなりません。成長促進なる何かが入っているので、どの魚も、早く大きくなると、巷の人は言っていますが、確かに大きいグレが釣れます。
真鯛は天然、養殖と混ざって釣れますが、大抵の場合、養殖の場合は、片目が無いとかの奇形です。
養殖業者が選別して、生簀外に投げるのです。

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画像は撮影の問題で真鯛は黒っぽいですが、実は綺麗なpinkで57cm、スカリに長いこといれておいたので、尾びれも貧相ですが天然です。もう一匹45cmの真鯛が釣れましたが片目でしたので、子孫を増やすべく放流しました。アイゴは、これも成長促進エサの加減か45cmもありました。


9月19日
この日も、ホクリンさんが来て、その釣り場に行こうというので、付き合いました。
私は画像の魚でしたが、ホクリンさんは40~45を五枚釣りました。流石です。

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この間も釣りには行っていますが、データー保存を怠っています。


10/4
天気はもう一つでしたが、何とか日本海の船釣りに出ることができました。
少し船酔いをしましたが、何とかヒラマサをゲットできました。
また、美味しい「ブドウイカ」もたくさん釣りました。


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10/14
まっちゃんが誘ってくれて、天神崎の磯に夜釣りに行きました。
私は、このコロダイ45cmしか釣れませんでしたが、まっちゃんは54cm?を釣りました。流石です。
やはり、コロダイの突進力は魅力ですね。
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10/15
久々に近くの渡船に、半夜釣りに行きました。
苦闘の末に、47cmのグレを釣りました。ここではこんな大物はめったに釣れませんので、うれしかったです。
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10/16
釣り友の山の家で、10人の大宴会をして、記憶を失いました。
いつものことであることと、二日酔いはあまり無いほうなので、早朝5時過ぎに、寒さのあまりに目が覚め、白浜に戻り、後片付けをして京都に帰還しました。

こういう疲れることを連続してやることは、これから避けなければなりませんね。
年齢は、やはり、うそをつきません。まあ、偽装もないでしょう・・・。
昨年から今年にかけて、私の釣り友は一人亡くなって、2人重病にかかり手術の羽目になりました・・・(泣)
そうだ、私の手首の手術を含めると3人です。







台風21号後の小光子の散歩道

日本は平和で、治安も良い美しい国。
これは、日本人が感じる以上に外国人が実感することかも知れない。

しかし同時に、水害、台風、地震、等々、天災の多い国だと感じる日本在住の外国人も多かろう。

天災は、人間の力ではあがらえないものだ。だから、「神頼み」という日本語があり、神は日本人の心に根付いているのだろう・・・。
しかし日本人は、過去の習慣(谷間に住居を構える)から、考えを改めて、どう見ても水害の危険性の高い地域からは、住居を移すべきであろう。
また、土砂崩れの起きそうな地域に開発許可を出す行政はいかがなものだろうか・・?
地震対策ばかりではなく、風対策の建築基準も見直しをせねばならないのではないだろうか?
災害対策費の国家予算の一部を、何らかの基準を設けて、時間をかけて、個人に対して無償貸与したら、恒久対策にはならないだろうか・・・?
等々、「神頼み」ばかりでなく、人間も考えなければ、神は怒るばかりだ。仏は人を救うもの。神は怒り、罰を与えるものだから。

「小光子の散歩コース」は一部閉鎖されていたが、昨日解放されたので、気まぐれ散歩をした。

まずは竹林への入り口に倒木。(全ての画像はクリックして拡大して見てください)

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美しいため池の周りにも多数の倒木
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竹林の中の倒木
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そして、よく整備されている竹林程、風が入り被害は大きい。
いわゆる「タケノコ畑」であるが、地権者の高齢化が進み、彼らだけで竹林の復旧をするのは、困難を極めるだろう。小光子の知人もいくつかのタケノコ畑の手入れを放棄した。年間に〇百万円の収穫があるにも関わらず、高齢化した体で、一時期に良いタケノコを掘り起こすのには、限界があるからだ。

ましてや、この被害を受けた地権者に、助ける人が無ければ、竹林を守っていく意欲を失わないかが、心配だ。
「竹林」がただの「竹藪」と化してしまうのには、さほど時間がかからないであろう。
後継者がおらず、日本一の美味しいタケノコが、災害を契機に失われていく・・。

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街路樹の倒木はかなり片付けられていたが、小光子の川原の散歩道はまだまだのようだ。
大きな木に守られて、風をしのいだのであろう。白いムクゲの花が、何食わぬ顔をして咲いていた。

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銀杏の木が途中から折れていた。よく見れば、すでに、たくさんのギンナンが色づいていた。(画像をクリック)

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そして、我が家の離れの上に立っている筈のテレビアンテナは、いまだお辞儀したままである。

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                                             201809.10 小光子

磯と船の釣り

「小光子の心」が等閑になっている。
手首の方は、術後半年を経過したが、思ったほどに良好とはいえない。
起床時には、しっかり手を握れない程の強張りがあり、日々のマッサージなくてはまともな動きを得られない。やっと、カミさんに腕相撲は勝てるようになったが、握力も、悲しいほどである。
好きなテニスは再開しているが、練習程度でゲームはできない。痛くてサーブができないからだ。
今のところ、かなり残念である。

とはいえ、釣りは、勿論「磯釣り」、「船釣り」と、やらなければならない義務があるかのように、弛んだ腹を揺らしながら通っている小光子だ。
久々のアップなので、記憶する釣果のみ、記録しておこう。

4月29日
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5月1日
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5月4日
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5月27日 
打って変わって娘が新築したので祝いに出向いた。持ち金すべて使ったらしい。将来に不安が少ないのだろう。子供部屋にボルタリング壁があるのが新しいし、かわいい。新しい家って、「幸せ感」があって、いいなあ~。

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6月7日
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6月13日
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6月15日
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7月1日 もう少しで40cmだった。
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7月2日
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7月13日 釣ったイカを餌にして釣った真鯛。イカタイ釣法です。
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7月24日 クーラー内寸が70cm。とても美味であった。
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7月30日 久々のクチブト47cmだ。
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しかし、今年はこの時期、強い竿をしならせてくれる「コロダイ」が全く釣れない。
この時期に至ってまだ1匹も釣っていないのは、ここ10年では無いように思う。
和歌山は田辺のコロダイハンター「松ちゃん」も、今年はゼロと言っている。私だけではないのだ。
なんかオカシイような気がするが、この分だと秋には大きいのが釣れるかもしれない。

また、今年は親しい友人の訃報が続いた。
今は猛暑の時期だが、例年、アユの竿を引っ提げて、あちこちの川へ行っていた「アユ師匠」が急死した。
私は今季、まだ一度もアユ釣りに行っていないし、行く気にもならない。

そして先日、学生時代、同じ安アパートの住人で密度の濃い付き合いをした北海道は旭川出身の旧友が亡くなった。彼は一級建築士になって札幌で事務所を開いていたが、癌を患っていた・・・・。
京都の私の自宅に泊まって、ゆっくりと京都を散策する計画をしていた。しかし、私が誘ってもその話をしなくなったのは、オカシイとおもっていたのだが、自分の死期を悟っていたらしい。
私に癌のことを一切言わなかったのは、どういう気持ちであったのだろうか、推し量ることもできない。
誠に、残念なことだ。2018年7月7日のことである。

友人の死を身近にすると、わが身を含めて人の命の儚さを感じずにはいられない。

本日、お坊さんが、お盆のお参りに来てくれた・・・・・・・。
                                                         2018年8月9日  小光子
    

光のどけき・・・

秋雨のような春雨の一日だった。

手首が痛くなって、テニスすることを諦めたのが昨年の9月2日。
その後、医者探しに病院通い。そして手術をした。

術後2ケ月と10日程だが、重い荷物を持てなかったり、釣りで、勢いよく撒餌が出来なかったり、不自由であるが、何とか釣りは出来るようになった。しかし、ラケットは振るだけで痛い。
テニスはできないでいる状態が、かれこれ7ケ月以上も続いている。
肩、上腕、腕、の筋肉は著しく落ち、握力も昨年の1/2だ。
勿論今、リバビリを頑張っているところだが、推測するに、元のようなテニスができるようにはならないような気がする。

今までできていたことが、できなくなることは、とても寂しい。
しかし皆、いずれ呼吸すらできなくなり、「あの世」に行くのだから、この歳になって改めて寂しがることはない筈だ。
身近にいた長生きの両親をおくって久しくなると、実感としてそれが解る。

また、何かが出来なくなることに因って、あらたに何かが出来るようになることもある。

人間の「美しい花」にしか興味が無かった頃。

借金を返すのに、お尻に火が付いたように、駈けずり回っていた頃。

もっといい会社にしたく、リスクを顧みず、設備投資に賭けていた頃。

そして、業種柄、先が見え始めて、終わりを模索していた頃。

それらの頃を振り返ってみれば、自然の美しさや、花の命を感じることなど微塵も無かった私だった。
我がブログの題名「小光子の心」にも、失ったモノの後に、新しく得るものがあることがわかる。

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                                                 2018.03.29~04.04

暇な小光子

今日で術後、丁度1ケ月だ。
手首は正常な状態とは程遠く、テニスも釣りもできないリハビリの日々である。
足腰の脆弱化を防ぐために、できるだけ小光子は、1時間強の散歩に出かける。勿論、かなり速足の散歩だが、何故かコースは決まっていて、風景が小光子の焦りを沈めてくれる。

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陽だまりの水面で 伴侶を見つけた美しい雄鴨達は、これから何処へ飛びたってゆくのだろうか・・・。

鉄道駅のある古い市街地から西方へ、古墳群のある竹林の丘陵を通り抜けると、広葉樹に埋もれた街に出る。
この辺りは昭和後期から開発された近代住宅地であるが、予定されていた鉄道施設の挫折、商業施設の撤退などあって、当初の市の目論見とは違ったであろうかたちで現在に至ったと思われる。勿論、丘陵も多くの古墳の存在によって、住宅や道路としての開発から逃れた。小光子からいえば、この竹林は新旧の住宅街の間のオアシスだ。
当初の目論見を達しえなかった街の中心部の百貨店や集合住宅の間に、小川が流れている。以前はあまり美しいとは言えない川であったが、川は、時の流れとともに、人間では作り得ない自然をつくってくれる。
必要以上に開発されなくて良かったと思っている身勝手な小光子であるが故か、小光子はいつも、竹林とこの川沿いの散歩道に足をすすめてしまうのである。

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                                              2018年2月24日

2018年初釣りと手術

「丁度良い」と言えば、身勝手な発言だが、外は記録的な寒波、インフルエンザの流行、黒潮の離岸は、右手首の手術後の養生で利き手が使えない小光子には、自宅での隠遁生活に焦りを感じなくてすむ。
ここにきて、やっとギプスが外れて、曲りなりにキーボードが打てるようになったので、暇つぶしに近況を書き留めておく。

もともと1月9日に手術をする予定であったのだが、帰省した娘の醜悪な風邪をもらって、手術が延期になった。
全身麻酔の手術に風邪ひきさんは、いけないらしい。
手術は1月25日に延期になったので、小光子はシメシメ,「平成30年の初釣り」へと、南紀に向かった。
南紀では、テラさんとホクリンさんが待っていてくれて、3人は紀伊有田の渡船で寒グレをネラウことになった。

1月19日(金)
小光子にとっては初めての渡船屋さん。ベテランのテラさんが予約しておいてくれた磯に3人であがった。
晴れ間は無いが、微風。波気はかなりあり、状況は良い。
釣り座は釣れる場所で順に釣ればよいと、準備が出来た順に、自然に決まる。私達のメンバーはこの形が多い。
まずはホクリンさんが潮岬の方向の南向き、次にテラさんはシモリがあり、良いサラシが出来ている東向き。
小光子はウネリの波がかなり駆け上がってきていた西向きに釣り座を構え、沖を釣った。
この時点までは3人とも意気揚々であったのだが、数時間経過して、ホクリンさんが30センチオーバーのグレを1匹採った以外は、寒空に閑古鳥であった。

小光子は昼まえに自作の手弁をユックリと食べ、新しい撒餌をつくり、釣り座を北向きに変えることにした。
午前中は右から大きなサラシが滑ってくるので、嫌った場所であるが、昼を過ぎて荒れ具合はかなりマシになっていたからだ。撒餌が効いてくると、巨ボラが寄り始めた。

小光子の仕掛けは00のウキにG5のガンダマ。いつもの2号ハリスだ。
船は3時に迎えにくるので、2時半には釣りを終了して、片付けなければならない。
しかし、1時を回ってから、釣れてくるのは巨ボラばかりで、テニスが出来ない右腕が痛んできた。
やはり、小さくなったと言えど、右からのサラシで上潮が滑っていて、2枚潮になっているのだ。
この低水温の状態で、グレさんは、動かない。食い上がってはこない。
そう想定して、ラスト1時間を、大幅な仕掛け変更で賭けてみた。

付け餌の動きを抑えて、底潮を釣るイメージに切り替えた。

Bの水中ウキにハリス1.5ヒロ、ハリスに口おもりG4。Bの小つぶウキで3ヒロ半の半遊動仕掛け、殆ど期待しないラスト1時間の賭けであった。

しばらくして、小粒ウキが、左ナナメニゆっくりとだが、思惑ありげにシモっている・・・。
「バシッツ・・・!」。久々に1.2号の竿が気合の入った音を発したかと思うと、綺麗な円弧を描いた。
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なんと、ここにきて四苦八苦の1匹のカングレ42.5cm。真っ黒な居付きグレだ。
時間をみると2時15分だったが、もうこれで納得の小光子は「平成30年の初釣り」の竿を置くことにした。
案内役のテラさんはボウズ。ホクリンさんは30cm強のグレ1匹と雑魚数匹。
貧果に終わった3人だが、ゆっくりと初釣りを満喫して、帰途についたのだ。

1月25日
変形性関節症、関節切除術、解りやすく言えば、右手くるぶしの約2/5を切り落とす手術が、やっと行われた。

手術は朝9時からであった。
大きな工場のような手術室に歩いて入り、体がはみ出そうな小さな手術台に横たわった。
回りの医師や看護師が準備をしている間に、バッチリと化粧をした若い女性の看護師が、どこか痛いところはないか、痰は出ないか、咳は出そうでないか、痒いところはないか、枕の高さは良いか、足の置き場所はいいか、等々、優しくも細かく聞いてくれる。患者に興奮と不安を与えない為だろうか・・・・・・。
こんなに女性に優しくされたのは、生まれて初めての小光子だ。本当に根からこんな女性が近くにいたら、ちょっと面倒かも知れないなあ~っと、思いながら、仕事だと思えば思う程、昨今の医療を評価したいと思った。

主治医の執刀を補佐するだろう若い医師が、青白い顔をして、小光子を覗いた。

「先生、今日は二日酔いではないでしょうね!」と、挨拶のかわりに憎まれ口を叩く小光子。

「ハハハ、大丈夫ですよ!」と、大阪は、医師も軽くて明るい。

「うるさい奴だ」と思われたのか、それから気が付いた時には、入院していた病室に寝かされて酸素を吸っていた。

全身麻酔から覚めない事故が起こった場合に備えて、朝弱いカミさんでも、10時半には病室に来ていたらしい。

それからは、肘までギプスで固定され、利き手が全く使えない生活が続いた。

2月8日
ワサワサと動く指を見て、自己診断であるが、経過良く、ギプスを外してもらえると期待していたとおり、愛でたく右手は解放された。
またもや、グロテスクな画像であるが、記録なので添付しておく。
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ギプスを外し、3日目であるが、まだかなり腫れが残っており、ブヨブヨしたブタの手のようだ。
握力は12kg、期待していたよりも右手は使えない現状だ。勿論右手で、箸やフォークを使って口に食べ物を運べない有様であるが、今週中にはそれも克服したい。
そして、来週は友人と飲みに行って、車にも乗れるようになり、3月初めには南紀に行きたいものだ。
                                            2018年2月11日(日)記

年末年始(2017~2018)

 振り返れば2017年は、記録できる魚は釣れなかったけれど、それなりに楽しい釣りができた。
特に、串本でのカツオのフカセ釣りでは楽しい思いができたのではなかろうか。
また、船釣りでは初めてメダイの90cmを釣ったのは、経験数の1つになった。

しかし。海況に恵まれず、ホームでの磯釣りの回数は少なかった。
先月、突然亡くなった鮎師匠とのアユ釣りは、機会をつくれず1回きりに終わったのは残念だった。
また、以前から患っていた右手首の調子が悪く、徐々にテニスが困難になり、9月にはプレー不可能になった。
それから運動不足のせいか、体力が激減。地磯を背負子を担いで歩くことが極めて困難になり、それも、ホームへの回数が減った原因であろうか・・・?

体力なるもの、老化によって減退するのは然程悲観に値するものではないが、トラブルにて激減すると、人間の体と言うものは、大きくバランスを欠き、マイナスのベクトルに向いてしまうようだ。

1月に手首の手術予定もあり、12月は別注しておいたバラのアーチ設置、それに伴うバラの植え替え等をやっておく必要があり、いつもより少し長い滞在となった。
12月16日には釣り友達の菅ちゃん親子、のりおちゃんがやって来て、手際よく基礎工事、設置、大きな苗の掘り起こしをやってくれて、右手をあまり使えない小光子は大たすかりであった。なにせ彼らは親切だ。
体力は衰えているとはいえ、それでも翌日は、多くのバラの苗を移動し、来春に大きな楽しみをつくった小光子達であった。

18日にはクレビスさんもやってきた。
彼が来ると、最低、2連荘の釣りをやっていく。
近くの渡船へ行ってみたが、2017年も磯釣りには大きな上達が見られない小光子であった。

12月19日釣果
50cmのキーパ-バッカンに入り切れていないので、2匹とも50オーバーの外道(ヒラスズキ、イズスミ)である。
50オーバーのイズスミはかなり強烈だ。しかし、グレ釣りとしてはいつも太ハリスの小光子だ。掛どころがよく、難儀したが、2号ハリスで取り込めたのであった。
小光子は食い意地がはっているので、今までに3度ほど、このイズスミに挑戦したことがあるのだが、戦績は1勝2敗で負け越していた。しかし、これは美味そうだったので、持ち帰ってスキヤキにしたが、美味で、2勝2敗の五分になったのである。
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そのほか30以上のグレは2枚で、イマイチの成果であったが、今回のグレはクレビスさんに持ち帰りをねがったので、画像は無しである。

12月20日
この日は、この渡船で最も良いとされている磯に上がった。しかし、最初から災難があった。多少ウネリがあり、渡礁時の潮が高く、舳先のタイヤを伝って飛び降りなければならなかったのだが、小光子が飛び降りる瞬間にウネリで舳先が跳ね上がったのである。磯釣りの渡礁時に最も多い事故はこれで、死亡事故にも発展する。小光子の長い磯釣り経験の中でも初めての事であったが、小光子の場合、跳ね上がり時の微妙なタイミングで、上手く磯に着地し、事なきを得たのである。ポーターがいたので、荷物を何も持っていなかったことも、不幸中の幸いになったのであろう。ポーターは胸をなでおろしていた。
しかし、以前30枚以上を釣り上げた経験のあるこの一級磯での釣果たるや、この日は散々なもの。クレビスさん、私の釣果は2:1。
私はと言うと、おまけがついて、海苔は付いているが、普通転びそうではない場所で、2度も同じ転び方をして、左股関節の外側を、激しく打撲した。もう約1ケ月になるが、階段を上がろうとするときに、まだ痛みが残っている。
運動不足で脂肪膨れした体でチョット恥ずかしいが、このシップ部に、軽い骨折があるかも知れない。
患っている右手と言い、満身創痍の小光子である。
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そして、年末年始の嵐が今年もやってきた。
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孫達はまた大ききくなった。誠に頼もしく、嬉しさこの上ないのであるが、大きくなるごとに声は大きく、運動の激しさは増すばかりだ。そして、親の教育悪く、ジイジなどは金ズル以外になんの獲り得もないがごとく、ナメている。
一方体力の弱っている小光子は元旦から喉に異変がおこり、手術日のこともあるので、早く風邪を治そうと休日診療へいったが、その後2件の診療所を乗り移っても改善がおそく、1月9日の手術は延期になったのである。
風邪は孫娘-->実娘-→小光子と旅をしたようだ。

このように、年末年始、ちょっとした不運もあったので、滅多に今年の運勢などみない小光子であるが、先程すこし覗いてみると、意外と今年は上り調子で良いようである。
体力復帰を目指して運動し、手術日が延びたので、初釣りに行って運を開き、2018年を良い歳にしたいと願う小光子である。
                                                2018年1月17日

鮎師匠

 「人生に起こることの、ほとんどすべては必然」という人もいるが、どうのような「必然」があったのか、神に聞きたくなった。
元気で、堅牢であった彼は、昨年くらいから確かに老いが見え始めた。
しかし、テニスを日課とし、6月に入れば川の様子さえよければ毎日でもアユを釣りに行く。
川にさえ入れば、「老い」など微塵も感じられない。
引き締まった体と、赤銅色の顔はこの夏も健在であった。

私にアユ釣りを教えてくれた「鮎師匠」のことである。

彼は、「美山川」が大好きであった。
名のごとく、美しい川で、彼と10年以上、アユ釣りをした。
「好きこそものの上手なれ」。やはり彼は、アユ釣りをしている時が最も格好良かった・・・。

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先月、自宅で転倒、数日後、たまたま一人の時に身罷ったという知らせを聞いて、気持の整理がつかず、御線香をあげに行った。

奥様が「好きなことを存分にできたので・・・」と言っておられたのが、私の救いとなった。

つまり、「本望」ということであろうか。
だとしたら72歳で急死した私の「鮎師匠」の場合は、「本望」が「必然」と言うことになろう・・・。

「豊かな死は、豊かな生の結末」なのであろう・・・・・・・(浅田次郎)

私の鮎釣りの道具は残ったままであるが、来年のシーズン、そしてその次も、鮎を追いに行くときに、私に彼が蘇ってくることは、間違いない・・・。

遊び呆けて風邪ひきさんに・・・

右の利き手が不自由なのに、この11月は、スケジュールが密である。
まあ、勝手に釣りの予定を入れているだけでなのあるが・・・。

11日にお見舞い旅行から帰り、13日には手首の手術を予定している病院へ。
そして14日は、「秋の磯釣り」の為に和歌山は白浜へ走った。

15日
潮の加減で14時から釣り始めた。
ホームは裏切らない。最初から活性がよく、コッパグレが釣れ始め、夕方には40cmのグレがかかってきた。
日が暮れて、これからがモンスタータイムを迎える時刻なったのだが、小光子のやる気は萎えていた。
太陽が沈むと、急激に気温が下がり、寒くてしょうがない。
しかし、この時刻では潮が高く、帰り道は膝上まで浸からなければならない。
どちらにしても寒いのだが、この時期、海に浸かる方がまだマシだと判断し、17時半で釣りを止め、海を渡った小光子であった。流石は秋の釣り、実釣3時間半で40cmを頭に30以上5枚は、ずいぶんと効率的なグレ釣りであった。
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16日
テラさんとホクリンさんと久々に市江の渡船に上がる予定にしていたが、急遽クレビスさんもやってきた。
小光子とクレビスさん、テラさんとホクリンさんに分かれて、市江の良磯に上げてもらった。
しかし、サラシが強い割には潮が動かず、苦戦となった。
前日のグレが冷蔵庫にあり、グレは全部クレビスさんに持ち帰ってもらったために画像は無し。

小光子:35cm頭に30cm以上5枚20cm以上10枚程
クレビスさん:30以上2枚20cm以上5枚程
テラさん:30以上2枚(1枚は40cm)
ホクリンさん:25cm以上3枚

17日
14時ころからホームに再挑戦したが、15日とうって変わって、寂しい限りであった。
35cmグレ1匹とベラ。

土日はお休みして

20日
ホクリンさんの希望で、再度市江へ。
私とホンリンさん、テラさんは一人で渡礁した。
私は北西の風に向かって釣るポイントへ入った。この時期、北西の風に向かって釣るのは、かなり寒い!

小光子:40cm頭に5枚、アイゴ40cm1枚、小さいグレ多数
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ホクリンさん:20cm前後多数
テラさん:でかいサンノジ、モンスター(イヅスミ?)に5発切られて降参

21日
同じメンバーで串本の波止へ。
この日も、場所確保のために夜明け前から釣行
小光子:44cmと36cmグレ1匹。アイゴ40cm1匹
テラさん:木端グレ
ホクリンさん:46cnグレを頭に3匹。マダイ50cm1匹

2日続けて、夜明け前からの釣りで、少し疲れたので22日は、釣りはお休みして、南風館の庭仕事をした。
23日はまた釣りにと思っていたが、カミサンの目の調子が悪く、病院に行くために帰京した。

京都はとても寒く感じた。そして、25日頃から少し喉が痛くなった。
早いうちに「ルル3錠」を呑んだが、良くならない。因みに、今まで、ルルで良くなった試しは一度も無い。

27日
また、手の病院へ

28日
「天気が良いので」と、クレビスさんに誘われ日本海へ船釣り
大きいのは60cmマダイ1匹だけで、貧果に終わった。
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しかし、スギさんは90cmメダイを頭に3匹
クレビスさんはメダイ1匹に小さいマダイ。

29日
遊び呆けた小光子は結局、この時点で風邪がひどくなり、「お医者さん」へ行きました。

纏めてみると

船釣り:  3回
磯釣り:  4回
波止釣り: 1回
旅行 : 4日間

釣りと、旅行と医者の11月でした。

まあ、風邪も引くよね!
                                               2017、11月末


恒例のお見舞い小旅行

小光子は近頃、よく忘れ物をする。
日々の生活における緊張感の欠落と加齢によるものだと思う。
しかし、この人は忘れない。
義母は104.5歳になった。年にたった2度だけの訪問であるが、私達が訪れると、即座に「オーッ」といって笑みをこぼす。
必ずと言っていいほど、その辺のお菓子を差し出し、「食べてっ」と言って接待してくれる。
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義母を見ている限り、長生きの秘訣は、「節制」、「規則正しい生活」、「自立(尊)心」だろうか・・・。
だとすると、小光子などは、カミサンがこの義母のような歳なったころには、疾の昔に「あの世の住み慣れた住人」となっていることであろう。

年二回のお見舞いの旅は、また1300km走破の旅となった。
3泊4日と言えど、車の運転も、負担になる年ごろとなってきた。
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広島で義母を見舞い、岩国で宿泊した。
4十数年ぶりに錦帯橋を訪問したが、記憶にあるよりも大きな橋であった。将来の事にしか興味が無かった小光子だから、過去の記憶は誠に曖昧なものなのである。
11月9日の晴れの日であった。水のきれいな大きな川幅で、鮎のルアーフッシングとコロガシ釣りをやっているのが、錦帯橋の上から観戦できた。魚影は濃く、よく釣れていた。
丘の上に岩国城が微かに見えるが、今回は余裕もあり登城してみた。
小光子の好きな刀剣が沢山あり、いい目の保養ができた。

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この日は、これも2十数年ぶりに萩の町へ訪問した。
多分小光子は4回目位だと思う。カミサンの希望があり寄ったのであるが、東京での学生時代の友人がご先祖の墓参りに萩へ行くと言うことで、割烹の店「千代」で久しぶりに再会した。
友人は銀行マンとして、その職を終えたが、やはり今も銀行マンらしい風体で、とても元気であった。
小光子は調子に乗って、また、お酒を飲み過ぎたにもかかわらず、「ここは僕の店」と言って、彼は支払いを譲らず、夫婦二人共にご馳走になってしまった。今度は金利をつけて、御返ししなければならないだろう。

翌朝、天気は良く、小光子の頭はすっきりと冴えていたが、やはり、終宴の方のこまごまとした記憶は無く、飛んでいた。それでも穏やかに、萩の町をゆっくりとブラ散歩して、夕方、尾道へ出発したのである。
やはり小光子は「あの世の住人」になる日が近いかも知れないので、早く彼に会わなければ、不良債権をつくってしまうことになろう・・・。

萩の佇まいは20年前とほとんど変わらないが、多少近代化して、名所にはボランテイアガイドがおられるのが楽しくなった。4回目で初めて訪問した「玉木文之進」の家にも、ガイドさんが居た。
彼女は「大先生である吉田松陰氏の大大先生が玉木文之進氏なのに、松下村塾までは、みなさん足を運ぶが、ここへは少ない」と言っていたが、ほとんど休みもとることもなく、古家を守り、熱心に説明してくれたのには頭が下がった。あの人は玉木文之進の末裔であろうか・・・・。

願わくは、ここ萩から日本海沿いを北上して、山陰を楽しみ、鳥取経由で帰りたいところであったが、運転のストレスを避けて、高速道路の多い道を逆戻りした。
いつもの尾道で宿泊して、明るくおおらかな後楽園をゆっくりと観光し、京都に戻った小光子一行であった。
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                                          2017,11.8~11.11の事 

磯がダメなら船釣りで・・・

テニスができない小光子なのに、なんか忙しい。
11月1日に和歌山から京都に帰り、2日は大阪の病院に診察を受けに行った。手首の病名は同じ診断であったが、処置は「尺骨短縮術」ではなかった。長年の使い過ぎにより、もともと長すぎる尺骨の軟骨が完全にすり減って、骨端が炎症している。
「尺骨短縮術」は軟骨が残っている人に、有効な施術なので、私には無用とのこと。
炎症している骨端を切り取る手術が必要らしい。つまり、手首は、痛みは取れるが、機能は元には戻らない!ということだ。
誠に残念だ!
と言いながら、翌日は、今度は日本海の船釣りの予定が入っていた。
天気で中止になることが多いので、結構この月はまたすぐに予定をいれていたが、運よく、アタリで、釣行できる。

11月3日(金)
この日は、小浜沖での小物釣りだが、とても意外なことに、昨年のこの月、この船で、そして、艫の左舷角で、このマダイと同じ80cm丁度の大マダイを釣り上げた。その時に同船していた数人の釣友も奇遇だと驚いていた。
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他の鯛、は30∼40cm程のこの場所のレギュラーサイズ10匹ほどであったが、それに交じって、友人達のキラワレモノの「エソ」が釣れた。何時も海へ帰ってもらうのだが、ふと、「蒲鉾」をつくってみようと考え、2匹キープした。
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なんと、これが、プリプリで意外と旨いのである。

そして、大マダイは、大きな頭まで、綺麗に頂いた。
手首が痛く、頭が割れないので、大きな鍋で、ダシをかけながら時間をかけて煮つけた。
誠に美味であった。
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トロトロの美味しいところを食べていた小光子が、口の中の異変に気付き、取り出したのが、皿の右横にある曲がった針だ。私が釣った針は取り出したので、過去に誰かのハリスを食いちぎって逃げた強者だったのであろう・・・。小光子も魚と同じく針を飲み込まなくてよかった。魚よりは、少しは賢いのだろう。
カミサンも喜んで食べていたが、魚より賢いかどうか解らない彼女の場合、口に入らないで、それは幸運だった。

11月6日(月)
そして、この日にも、違うグループの船釣りの予定が入っていた。
京都から、日帰りで日本海を行ったり来たりで、忙しい事である。マ・・・、「アホ」なんです。
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画像の魚は、この時期、この海域をウロついている「メダイ90cm」だ。
大きいクーラーに入らないので、尻尾を切断して、持ち帰った。
しかし、8日から広島へ行かなければならなかったので、7日に解体して、近場に居る息子は出張中、名古屋の娘家族に、全て送ったのであった。そして、自分は「甘鯛のマツカサ揚げ」だけを頂いた・・・。

ここでチョット、ここのところの小光子の複雑な動きをまとめてておこう。

10月23日
 |     南紀
11月1日

2日  大阪病院

3日  日本海船釣り

4.5  京都自宅

6日  日本海船釣り

8日  広島
9日  山口萩
10日 尾道・岡山
11日 帰宅
 
つづく・・                                                  

台風ばっかり

魚種の多い南紀の釣りが期待できる10月になった。
ホームの潮のいい時に滞在を計画したが、超大型台風21号に阻まれた。
潮岬を通り過ぎたのを確認して、南紀白浜に到着したのは23日の夕方であった。
海はまだ唸っていた。

10月の釣りを簡単に記録しておくことにする。

24日(火)
磯は危なくては入れないので天神崎で避難してくる魚を狙うが、35cm位のコロダイが1匹きただけで退散。

25日(水)
菅ちゃん親子が日置の磯に誘ってくれた。ここは背負子で荷物を担いで、急斜面を降り、ゴロタ石の海岸を行進しなければならない。手首の不調で2.5ケ月もテニスをしていない小光子。完全に体が鈍っている。過去3回、同じルートを難無く歩いているのに、いたくキツイのだ。釣りをした後の帰りは荷物が軽くなっているのに、急斜面を登り切ったあと、ふらついて、座り込んでしまった程だ。
「このままではイケナイ!」と、猛省したところである。
かなり波気があり、大物の雰囲気があったが、私の釣り座からは、台風一過のゴミが邪魔をして、釣りづらく、平凡な釣果に終わった。菅ちゃん親が竿ガシラで、40オーバーのグレを筆頭に、シマアジ、大型ハゲ、イガミ、等、秋の釣りらしく、多種・多数、釣り上げた。山師の健脚でも、魚が重くて、帰りがきつかった、と言っていたほどだ。
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27日(金)
台風が過ぎたのでやってきたのだが、また、22号がやって来ている。南紀の海も、台風続きで、ウネリがあり、磯は危ない。仕方なく、この日は串本の波止へ行った。苦戦するも、1匹だけだが、44cmのグレを取り込んだ。
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28日台風22号潮岬沖を通過
29日

30日(月)
いつものブルーオーシャンはどこへ・・。河川から排出した水で、辺り一面は茶色一色の海になっていた。
勿論、波も残り、磯へは行けない。
しかし、天気はいい。この条件の時には、かなり高確率で釣れる場所がある。サイズは少し残念だが予想通り37cmグレが釣れた。
画像のほかにも、チヌ、小ぶりのシマアジを釣って、この日は食事の御呼ばれがあったので、日暮れ前に退散した。
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31日(火)
11月2日には、大阪の病院で、手首の名医の診断があったので、この日に京都へ帰っておきたかったのだが、27日の串本の波止の釣りの余韻があり、もう一度挑戦したかったのだ。
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結局、釣果は40cmグレ・チヌを頭に、平凡な釣果であったが、「獲れる!」と安心した瞬間に、猛然と左に走り、ドラグを締める間も与えてくれず、スプルーを手で止めた時に、3号道糸をブチ切って逃げたヤツ。
そして、竿に小さなクラックがあったのか?胴に乗った瞬間に、「パキ~ン」という爆音を発して、1.5号の元竿を折っていった何者か?が掛かってきた。
1年未満の保証期間中なので、一応修理には出したが、多分、もう使う気がしないだろう。ベイシスは気に入らない竿だ。
                                                            おわり
   

いまはもうアキ・・・・

忘れないうちに記録しておこう。
最後にテニスをしたのは9/11(月)だった。
そして今日は10月9日、つまり28日間テニスをしていない。
54歳になってからテニスを再開し、10年ほど前から、手首は痛くなったりはしていたのだが、1・2日経てば痛みは無くなり、67歳のこの日まで続けてきた。
仕事を辞めても、大好きな「釣り」、「テニス」、そして「読書」と、結構楽しく過ごせており、このテニスは生涯スポーツとして、後10年はやれるだろう、「やっていて良かった」と喜んでいたのだが・・・・。

痛みがひどくなり、医者に行くと、「TFCC損傷」「尺骨突き上げ症候群」と診断された。
これは10年程前に違う医師に診てもらった時も、同じことを言われたので、まず、間違いなかろう。
ただ、今回は痛みが継続し、完治するには手術しかない、と医師には宣告されている。
しかし、自分の年齢から考えると、術後、筋肉は確実に極度に落ちるだろうから、手術が上手くいっても現在の筋力は取り戻せないであろう。
現状でも、日常生活には支障はなく、好きな「釣り」、そして、読書は、勿論できる。
であれば、急いで手術のリスクを負わなくても、これまで10年余りテニスができたのだから、神様が微笑んで、また、テニスができるようになるかも知れない。
しかし、「老い」とは、こうして一つ一つ、何か(煩悩)を失って、行くべきところへ行くのであろう・・・。
それは決して悪いことではないが、この時点で右手を存分に使えないのは、少し早くはないだろうか・・・・?

そんな「迷い」を抱えながら、小光子は9月の釣りを楽しんだ。

9/19
前日夕方に南風館に到着して、早速、15時からホームで一戦交えた。
右手で撒餌をすることは控えて、左手でやるが、なんとももどかしい。
それでもホームは裏切らなかった。
40cmには届かなかったが、グレのいい引きを楽しみ、コッパは沢山釣った。まさに秋の釣りである。
もう少し大きければ良かったが、久々にヒラスズキが食ってきた。

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9/21
20日は雨だったので、無理はしなかった。
21日もホームの潮はいい。
なんとなくモンスターの雰囲気があり、レマーレⅥを持って出かけた。
19時を過ぎてから、1発強烈な奴がきたが、10秒後に針外れ、その後、小物がやってきた。
この竿も活躍したもんだ。小光子の身体のように、かなりくたびれているので、NEWが欲しいところだが、贅沢かな?
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9/23
マッチャンが誘ってくれたので、天神崎へ夜釣り。
久しぶりにやってきたが、雰囲気が無い。
それでもモンスタータックル(6合ハリス)でやっていた。
いきなりだった。電気ウキを勢いよく消し込んだあたりに、レマーレⅥを煽った小光子。
そこまでは良かった・・・。しかし、何故かドラグの締め具合が弱かったのである。
一瞬の内に、ジジジと出されたので、スプルーを手で押さえて耐えた時は、すでに遅しであった。
右方向に遁走したモンスターは底で何かに擦って、ハリスの中間を切って行った・・・。
ヘタクソ小光子である。

9/25
天気は良い。しかし、ホームの潮はタイトなので、市江の渡船へ、得意の弁当船釣行だ。
この時期、南紀の磯はイガミ釣りの客で賑わっている。
しかし小光子場合、できればグレ釣りの方が面白いので、エサトリ覚悟で釣り場へ向かう。
グレ場は弁当船でも、選び放題、どこでもOKである。
しかし、やはり木っ端グレで苦戦。13時まで、頑張ったが30オーバーは一匹だけ、降参した。
ここで止めないのが、おバカな小光子である。ウキを2Bに、そして、針をチヌ針の4号に交換。
少しだけ、このために買っておいたホンダワラをつけて、イガミ釣りだ。
2時間で4匹(40オーバ2匹)を採って、納竿となり、壮介さんの土産はできた。
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9/26
翌日は京都へ帰ることになっていた。
マッチャンがまたもやリベンジということなので、天神崎にモンスターハンターに出かけた。
コショウ鯛(44cm)、コロダイ、太刀魚などが釣れたが、レマーレではブリ上げサイズばかり゙で、モンスターはやってこなかった。
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まあまあ秋の釣りそのものであったが、いつものように、楽しい南紀滞在の日々を過ごした小光子とカミサンであった。

南風館の庭では、秋の花が静かに、そして、優しく微笑んでいた。

貰いモノのホンマモン

 8月の京都は35度を越える夏日が続いた。
そして、半世紀を越える大昔の京都、小光子は夏休みも、炎天下で陸上競技の練習をしていた。
多分であるが、30度を越える日は多くなかったような気がする。
ただ、練習中は水を飲んではいけない、と言うことが、指導者の正当な意見であったことには、今となっては笑ってしまうが、日本列島が熱くなった事は、ここまで生きてきた小光子の記憶からでも、確かなようだ。
トランプさんは、考え直した方がいいと思う小光子だ。

 南紀の太平洋に面する地域は、この時期、多少なりとも(3~5℃)京都より気温が低い。
勿論湿度も、京都とは比較にならない。
避暑とは程遠いが、小光子の遊び場の多いこの地に来ないわけにはいかないのだ。

8/19ホーム
ホームは裏切らなかった。他の魚も比較的よく釣れたが、やはりモンスターの気配は無かった。
例年のことであるが、今回、大波により地形が変わり、満潮時にはかなり入水しないと釣り場には行けなくなっていた。
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8/20
翌日、小光子と潮岬沖へキハダマグロを釣りに行くため、クレビスさんが田辺にやってきた。
この日は前日であるが、夏の夜釣りを田辺の波止でやるという。彼もスキモノだ。
マッチャンも来るというので、小光子は後発ででかけることにした。
小光子、マッチャンは不発であったが、クレビスさんは明るいうちにおおきなガシラやこぶりのヒラスズキなどを釣り、暗くなってからモンスターに遊ばれて、バイバイとなった。

8/21
「なんとかキハダマグロと・・・」、この日はクレビスさんと潮岬沖へ・・・。
小光子のタックルは、前回よりも1ランクアップ。12号フロロラインに14号環付針。

結果は良型の本カツオ4本。クレビスさんは残念ながらリールのトラブルもあり2本。キハダマグロは釣れなかった。
画像は同船者5人全員の釣果。
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しかし、同船者にはこの辺りではトップクラスの良型のキハダマグロが釣れた。

掛かった時には、騒然とした。釣り人は船中を移動し、船主近くに対戦場所を決めたようだ。
船長はギャフを持ったまま船腹に寝転がって魚が浮いてくるのを待つ。時間がかかることがわかっているからか、まるで日光浴スタイルで楽しんでいる。

一方、同船者は必死の形相で戦っていたが、途中から疲れてきて目が弱ってきている。
友人がタオルで汗を拭いてやっているも、声さえ出ないようだ。私達同船者は仕掛けを上げて、無事取り込めることを願い、観戦する。多分30~40分奮闘されただろうか?めでたく船長のギャフに仕留められたのは、なんとも美しいキハダマグロ22kgであった。
いいものを真近で見せてもらい、私にもキハダマグロが近づいたような気がしたのである。
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8/22
この日は壮介さんに「鮎釣り」に誘われていた。
南紀に鮎竿を持って来たのは初めてだが、その川は「幻の源流」ともいわれる日置川の上流だ。
上流と言えどもかなりの川幅があり、水量は豊かだ。
10年程前に私が見つけた川底にある奇岩、「魚面岩」もある。未だに地元も人も知らないのである。
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ここには知り合いのトノ夫妻も住んでいる。昔はアユ釣り客の民宿をしていたのだが、今は客もすくなくなり、自分達も高齢になったので、民宿は止めた。
ここで日券とオトリを買って、壮介さん推薦の場所へ向かった。
なんでもやる人だが、彼はこの川のある場所に、筏をこしらえて置いている、と言うことだ。
車を停めて、そこまで歩いてゆくのだが、結構足元が悪い。
成る程、着いてみるとモウソウ竹を紐で繋いで、フロートを付け、「たぶん浮くだろう?」というような代物であるが、上手くできている。辺りは淵になっており、かなりの水深があるので、2人で注意して乗った。
なんとも不安定なものだが、少年の頃に戻ったような気分になり、とても開放的で楽しいのである。
アユ釣りをしなくても、これで遊ぶのも面白いと思った程だ。

推薦の場所に筏を着け、降りた。
結果は2人ともボウズ・・・・・・。しかし、鮎はウヨウヨいるのだ。
原因は、ここまで来る過程で、あまりにもオトリ缶の水がこぼれ、激しく揺れ、完全にオトリがダウンしてしまっていたことだ。
たまたま、何とか泳ぐアユをオトリにした壮介さんは、泳がせてすぐに掛けたが、鮎が大きすぎて、奮闘むなしく水中糸が切れてしまった。残り2匹のオトリは、まったく使い物にならなかった。それでも小光子はオモリをつけて沈めたりして粘ったが、沢山のアユは知らん顔して素通りする。弱っているモノはいじめない性格のいい鮎ばかりなのだ。

仕方なく、引き揚げてトノの家へもどり、状況を話ししたら、それは可哀想にと、朝、トノが採ってきた良型のアユを10匹余り貰った小光子であった。
清流で育った日置川のアユの味はホンマモンであった。

そして、もう一つ、立派な貰いモノがあった。
壮介さんは、その筏を使って、ウナギの仕掛けを入れている。
採れた天然ウナギをトノの家の生け簀に生かしてあるのだが、その最大級のウナギをくれたのである。
早速、持ち帰り、小光子が料理した。
喜びのあまり写真を撮り忘れ、焼いている途中のタレをつけているときに慌てて撮った画像である。
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通常販売されている2.5倍くらいの大きな天然ウナギなので、この様に切断しないと、家庭では焼けない。
「固いかな?」と思ったが、ふわふわ・プリプリで、貴重なホンマモンにありつけた小光子であった。
カミサンも大喜びで、特大のウナギを二人で全部食べてしまったのである。本当に美味しかった・・・・・・・。

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この村に来ると、いつも思う。
この国に居る人間は、暮らすだけなら、然程お金を使わなくても豊かに暮らせるということだ。
ただ、一般人は、そのすべを知らないということであろう。
私も含めてであるが、時代に色塗りされた欲のようなものが、とめどもなく金銭を必要とするのだと・・・。
一局集中は人間の豊かさへの幻想の結果なのだ。

彼等は、明るく、楽しく、優しい心で、豊かに暮らしている・・・。

8/25
菅ちゃん親子・ノリオちゃんが、小光子のホームに行こうというので、夜釣りに出かけた。
どういう訳か、この日は小光子ばかりに、魚が食いつてきた。菅ちゃん達は扶養家族の多いから、丁度良く、全て貰ってもらったので、画像はない。小光子は魚の料理を免れて、助かったのである。

(小光子の釣果)
グレ35cn2匹、コロダイ42cm1匹、ヘダイ40cm2匹、チヌ35cm2匹。

この日も、ギリギリ釣りができる荒れ模様の海であった。
翌日は釣りができなかったので、8月の釣りは、これでおしまいとなった。
                                                     終わり

7月の釣り2

6月、菅ちゃんに教えてもらった日置の地磯が面白かったので、この日も約束があった。

7/21
夕方4時に現場駐車場所で待ち合わせたが、やはり思った通り「大和捨命壮介」さんは来ていない。
菅ちゃん親子、ノリオちゃん、私の4人だ。
明るいうちに、アイゴ35cm、フエフキダイ30cm、40~45cm?イシダイをタモ入れ寸前でバラシ。(口が堅いので、針の刺さりが悪かったようだ)
暗くなってから、37cmイサキ2匹、イットウダイ多数でお開きにになった。
純ちゃん(菅ちゃん息子50歳?)は磯際で何度か、強い引きと戦っていたが、全てバラシていた。

7/23 ホーム
雑魚達
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7/24ホーム
47cmチヌ(沖向きの磯チヌなので、臭みが無く、この時期グレよりも美味しいような気がする)
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この頃ホームはなかなか条件に恵まれず、7月の夏の夜モンスターには出会えなかった。