小光子の心

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zoom RSS 義母の見舞い(5/22〜23の事)

<<   作成日時 : 2015/07/19 20:54   >>

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 豪雨の中に行われた祇園祭の前祭りが終わった7月17日です。
業者さんは多少積み残しがあるものの、6月下旬にはリホームの工事終えて、引き渡してくれたのだが、おっとどっこい、カミサンの仕事が終わらず、入居はこの日になったのだ。

Wifiの電波が良い時に、当面の記録をブログに残したが、やはり振り返ってみれば2件程、積み残したいことがあり、アップの順番としては前後するが、簡単に記録しておく。

5月22日〜23日の事
義母の誕生日が4月であったので、その月に見舞いに行くつもりであったのだが、連休明けのリホームの着工の準備ために延期になっていた。
この誕生日で満102歳になった義母だ。特養に入る前と比べたら、格段と元気になって、明るく暮らしていたので、私達が救われた気持ちになった。
いつものように、義母に多くの話題は不要だ。
同じお話を、楽しそうに、何度も繰り返して話してくれる。
もしかしたら、老化による適度な認知症の進行は、かえってストレスを軽減するのかも知れない。
小光子もあのように歳を重ねたいものだ。

5時間かけて訪問し2.5時間面談し、その日は、広島は竹原に宿泊した。
昔ながらの武家屋敷群があるということで、暇つぶしに行ってみた。

夕方、ホテルに到着してから、いつものように町をブラリ・・・・。
何かあったのか?と思うくらい、アーケードに並ぶ店はシャッターが下りている。
人通りも、ほとんどない寂しい町だった。いつも、行先では郷土色のある料理を出してくれそうな店を探しにゆくのだが、かなりぶらついても、店そのものが少ない。仕方なしに、小さなお好み焼き店があったので、入ってみた。「広島焼き」でもあれば、その日は辛抱しようという作戦だ。
しかし、席に座って注文しようとすると、その店は「関西風お好み焼き」の店であったのだが、まあまあ、おいしかったので、ハズレではない。

翌朝、朝食をホテルでとって、例のごとく、遅駆けにマイカーで出発した。
近くに港があるようなので、とにかく、まずは様子を見に行った。地元の釣り人が、友達らしき人と、駄弁りながら、小さなチヌ、海タナゴ、ガシラなどを釣っていた。

ふと、小光子が瀬戸内海の沖をみると、彼方の奇妙な光景に気が付いた。

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釣り人に聞いてみた。
「契島」だと言う。誠に奇妙な風景なのに、街の観光案内パンフレットには掲載されていない。
まるで、最近世界遺産になった「軍艦島」のミニチュアで、島の隅々まで建物で埋め尽くされているのである。
気になって、京都へ帰ってから調べてみたのだが、そこは〇〇亜鉛(株)所有の、現在でも稼働している亜鉛の採掘場所なのであった。
また、近所には広大な敷地を持つ外観は古めかしい工場が存在していたが、操業しているのかしていないのか、そこにはなんとも寂しい空気が流れていた。
○○金属○○という会社で、日本の大企業の系列である。これも街のパンフには掲載が無い。

亜鉛等、非鉄金属の精錬にゆゆしきことがあるからなのであろうか、小光子の邪推であればいいのだが・・・・。
端島もしかりだが、鉱山の歴史にはいずれも暗い過去を持つものが多いからだ。

そんな事を考え乍ら、小光子は目的の「武家屋敷」とやらにいってみた。
武家屋敷と言うよりも、富豪の「商家屋敷」と言えば良いのか、地の利を生かして製塩の商いで財をなした家、そして、酒造所の街並みであった。そこには、あのニッカウイスキーの創始者、竹鶴氏の生家、「竹鶴酒造」も存在していた。
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正面はその竹鶴酒造である。テレビドラマのお蔭で、今年仕込んだお酒はすでに完売とのことであった。
かといって、来年は沢山仕込むということはないであろう・・・・。
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帰りがけに、営業しているのかどうか解らないが、昔懐かしい「写真館」の建物があったので、撮影しておいた。
映画像になりそうだ。
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小光子達がやるべきことを終えて、一路京都に到着した時は、街は夜の帳につつまれていた。
                                                                                                

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ご長寿ですね。あやかりたいものですが、小生には無理です。竹原散策を興味深く拝読しました。そう言えば、朝ドラを見て何十年振りかでニッカを飲みました。いつの間にかワイン・焼酎党になってしまいましたが、あの頃はもっぱらビールとウィスキーだったなあ。
夏野微風
2015/07/19 23:40
夏野微風さん。あの頃は一緒によく飲みましたね
小光子は、あまり酒には強くないにも関わらず、アルコールの刺激が欲しかったのか、度数の高い酒を好んで飲んでました。
ただ、お金が無いので、もっぱらトリス、ブラックニッカなどでした。あの頃から脳細胞が徐々に壊れ始め、今は少ししか残っていません
小光子
2015/07/20 10:26

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