小光子の心

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zoom RSS 博道館のファンキンギョ・・・・?

<<   作成日時 : 2008/07/29 14:05   >>

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昨年、博道館を観て「骨董・・・、永遠なるものを大切に思う人の心だ」と、綴った「小光子の心」も、2年目の夏の陳列に、繰り返しなるものの「永遠」を感じている。
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(左クリックで画像を大きくしてみてください)

中には同じ骨董もあるが、陳列の仕方、ニュウフェイスの骨董などが加わること、によって、違うものにも感じられる。
また、厳密に言えば、陶器といえども昨年とは違う「一年歳をとった器」になっているのだ・・・。
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「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとゞまる例しなし。」(方丈記)と、鴨長明さんは綴ったが、まさに永遠なる名文であろう・・。
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       (金魚の滝登り)

明日には今日とは違う成長した自分がある。明日には今日よりも楽しい事がある。
若い人の大多数が、そう感じて過ごせる世の中であってほしい・・・。
朝が来て、昼が来て、夜になって、また朝を迎えるという同じ事の繰り返しの中で、命を持つ自分は決して昨日と同じ自分ではないのだから・・・。
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一方、「人間は死に向かって生きている」と誰かが書いていた。寂しい響きがある。
ゴールが近くなってきた小光子もそんな生死の繰り返しを思うとき、仮に死に向かっていても、「肉体の磨耗に反比例して心の積層が増せば素敵じゃないか」、そして、「物質的な重さが減少し、下流域の淀みに漂いながら大海に消えて逝くことができれば、なお素敵じゃないか・・・」、と思うことがある・・・・
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       (ファンキンギョ=ファンキーな金魚)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
0歳から30歳までは育てられ、30歳から60歳までは子供を育てる。では60歳から90歳までは?30にして子を成して何度か思った問である。
で、自分なりの結論はどうか。
自分を育てる人もいれば大人を育てる人もいる。
昔のムラ社会では長老たちがいろいろな決め事を作ったというけれど、今の世の中もそうあってほしいな。
元気なオーバーシックスティが、政治の中心となり原動力となり引っ張ってほしいわ。勝手な若者の想いですが。
何にもしなくても流れの金魚のように泳いで歴史を刻むんだけれど...。
彩風
2008/07/29 20:34
彩風さん、やはり子供を持って、真剣に向き合うと、心の積層が出来るんだね。理系を選んだ人だが、最近文系に傾斜してきたのかな?
 今日、共産党の看板に「食料、雇用、医療の改善」という事が重要テーマとして、あげられていた。小光子は共産党ではないのだが、かなり前からこの問題を悲観視してたよね。中でも、派遣業法は最悪だね。それしか仕方がなかった女郎屋の存在よりも問題が大きいような気がするよ。人権、そして、全ての生き物のの生きる権利が考えられる世の中になって、人権が侵される法律が出来るなんて、狂っているよね!
小光子
2008/07/29 23:08

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