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zoom RSS 小光子の東北旅行(2)

<<   作成日時 : 2013/11/13 20:40   >>

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 最近の小光子達の旅行は自然にそうなってしまった。というより、「カミサンがそうしてしまった」と言う方が正しいだろう。
毎朝、いつものような時間に、それとなく起きてユックリと朝食をし、気合が入った時に出発する。

この日も、早く起きてはいるのだが、グズグズとして、9時半頃にチェックアウトした。
メイン観光は中尊寺だ。その前に、小光子はあまり好みではないのだが、観光なので、花巻は「宮沢賢治の故郷」に行ってみることにした。

日本人のいいところは、平均レベルが高いということだろうか?

この時代の文化芸術で名を残した人は、多くの割合で、生い立ちが裕福であった人のように思うからだ。
よく、ハングリーが名を残す、といわれることもあるが、この時代の極度の貧困の中で、文化芸術に向けた切磋琢磨はあり得ないであろう。

比較的経済的に恵まれた限られた少数派の人が後世に残るものを創造した、と考えると、国民の平均レベルが高くなければ、無理なことであることは明白だ。

たださらに、何よりも学問や芸術に、今の時代よりも、はるかに強い枯渇があったのではないかと、小光子は結論づけるのだ。その意味ではハングリーなのであるが・・・・・。

宮沢賢治氏は、その枯渇によって様々なことを精力的に学び、独特な宮沢ワールドを作ったのではないか、と思っている。

この橋が「銀河橋」と名付けられているのは、なんとんくピッタリのネーミングのように思えてならない。

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さて、お目当ての平泉は中尊寺へ行った。

平安の時代、平泉は黄金の産出が多く、それが京の都で取引されていたという。
その奥州藤原氏の繁栄が、世界遺産になった中尊寺を造らしめた。
小光子は、浄土宗の僧侶から、極楽浄土というところは、金色の世界なのだ、と聞いたことがある。
まさに、中尊寺の金色堂はその極楽浄土を具現化したものなのかも知れない。
撮影禁止なのが残念である。

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                            小光子、金色堂に行く。

藤原氏はその後、更に規模の大きい毛越寺を造営したらしいが、今は建物はない。

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上記の画像の白杭のところに建物はあったそううだ。
掲示板の写真の建物と照合してみると、その立地間隔が分かる。

庭園の池の造りは平等院や修学院離宮に似ている。
しかし、掲示板の白杭のように、建物が池の庭園に向かって幾つも建っていることが、京都と違うように思った小光子であった。

どこかで見たような池への流れ込みがあった。
後年、作庭家、小川治平氏によって完成度を増している平安神宮・円山公園・無鄰庵、等々に、何代にもわたって古の庭造りを発展させてた「流れ込み」のことだ。

以下画像の毛越寺の流れ込みも、骨格はそれと同じようである

いづれにしても、奥州藤原氏の黄金がこの地に、都の文化を運んだことは違いないであろう・・・・・・?

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平泉で時間をとるつもりだったので、この日は仙台の手前の町、古川に宿泊することにしていた。
ここには友が居るから、素通りはできないからである。

家族が忙しい時間を割いて来てくれた。

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彼とは、よく深夜まで仕事をした。そしてまた、よく祇園の町にも繰り出した。
土地勘がよく、京都の夜の街を瞬く間に覚えてしまって、フラフラと彷徨する方向音痴の小光子をフォローしてくれたりした。
・・・・・・「東北の野武士」である。

幼かった少年は立派に成長し、可愛いお嫁さんを連れて来てくれた。
奥様は変わらず矍鑠として明るく、元気だ。
元気だった東北の野武士と小光子二人が、なんとなく老いぼれてしまったような気がした一夜であった。

友よ、旅行に花を添えてくれてありがとう・・・・・・

                                            2013,10,23  会津若松へ続く

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